『明日、ママがいない』に慈恵病院が必死で抗議する本当の理由・2

ここで、キリスト教がとても大事にしている『愛』という概念が関わってきます。
(宗教の話になるので違和感を感じる方もいるかもしれませんが、慈恵病院を理解するのに大切な部分です)

夫婦は神から子供を授かり家庭を作り、
子供に恵まれない夫婦は、親のいない子供を育てるなどの奉仕活動をするチャンスを神から与えられたと解釈します(カトリックは奉仕活動を重視します)。

つまり、キリスト教において養子を引き取る=社会奉仕活動=愛なんです。
セレブが養子をがんがん引き取っているのも、社会貢献なんですね。

キリスト教では、養子を引き取り、愛ある家庭を作るのは素晴らしいことで、
親のいない子供は、別の家庭へ温かく迎えられることが前提です。

そのためキリスト教圏では、親に恵まれない子供はまず養子へ。
残念ながらまだ里親がみつからない子は、みつかるまで施設にいましょうね、っていうシステムができています。

そしてこれが、慈恵病院の理想とするところだと思います。

ところが日本では、社会貢献のために養子を引き取るという考えはほとんどありません。
親に恵まれない子供は、まず乳児院児童養護施設へ。
運が良ければ、特別養子縁組が行われるというのが現状です。

赤ちゃんポストへ預けられた子供達みんなに温かい家庭を与えてあげられない現状というのは、カトリックの慈恵病院にとって、ものすごく辛いことだと思います。

そこで、今回のドラマです。

9歳になるまで養親が見つからず、
「親に捨てられたんじゃない、私達が捨てたんだ」とか言っちゃう愛に飢えた子供が、赤ちゃんポスト出身で名前が『ポスト』っていうのは、マズすぎる。

慈恵病院の目指す『愛』と完全に真逆。
もう痛いとこをエグりまくり。
赤ちゃんポストのイメージキャラクターとしては最低中の最低です。

日本の赤ちゃんポストに預けられた子は、ドラマの芦田愛菜ちゃんのように施設で生活をしていると世間に認識されるのは、カトリックの慈恵病院にとって大打撃です(事実はどうであれ)。
カトリックのストーリーとしては、赤ちゃんポストに預けられた子は、養子として引き取られないといけないんです。
『明日ママ』は、カトリックの方々にとって、赤ちゃんポストの存在意義を見直すほどの大問題になりかねません。

そのくらい、芦田愛菜ちゃん演じるポストはカトリック的にタブーな存在です。


だから慈恵病院は第1話放映後、ポストという名前が変更できないとわかると放映中止を要請しました。

で、慈恵病院が「子供達がかわいそう」という言い方で抗議したもんだから、
児童施設協も黙っているわけにもいかず、遅ればせながら本格的に内容変更要請をしたんだと思います。
慈恵病院と児童施設協の抗議に時差(というか温度差)があるのは、こういう理由じゃないかなと思います。


なので、たとえドラマの内容が、
全米が泣こうが、
視聴率が40%を越えようが、
児童施設協が「これならOKだよ♪」って満足するストーリーにしようが、
芦田愛菜ちゃんがポストである限り、慈恵病院は抗議を続けないといけないんです。


これが、慈恵病院が放映中止要請をする理由です。
で、たぶん日テレもここんとこわかっていると思うんですよね。
だからのらりくらりと「内容変更あんま考えてないです」って言ってる気がする。

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じゃあ、どうして慈恵病院は、宗教上の理解を得ようとせず、
「子供達に悪影響が〜」という言い方をしたのか。

こっからは完全に私の妄想なんですが、
たぶん、宗教上の話をしても、世論を動かせないことを知っていたからじゃないかなと。
赤ちゃんポストが設置される際、宗教上の問題点はさっぱりと言ってよいほど話題になりませんでした。
その経験から、今回こんな形で抗議したのかな〜とふと思いました。
実際今回、本当のところを話しても「ふ〜ん…」で終わった可能性は高いし。
子供達を傘にしたのは腹ただしいですが、これしか方法がなかったのかもしれません。

私自身は、今回のドラマは、今まで児童養護施設や里親制度について無関心だった人たちに考えてもらえるきっかけができて良かったと思っています。
少し過激なやり方で、傷ついた方も多くいるとは思いますが…。

つかさ、ドラマ観て傷ついたっていう顔の見えない子供達を心配すんのもいいけど、出演している芦田愛菜ちゃんたち子役さんのメンタルもみんな心配してあげようよー…